感謝と祈り

「建学の精神を守る会」をお支え下さっている多くの皆様。お元気でお過ごしでしょうか。前回のブログから二ヶ月近くが経ちました。その間の変化と現状をお知らせするため筆を執りました。

7月1日に山北院長、そして10月1日に半田理事長が選出され執行部体制がようやく整いました。形が整ったことを喜びながらも、新しい理事会はもちろんのこと、青山学院に奉職するすべての教職員に求められていることは、神と人とに仕える心ではないだろうか、と不遜なことを申し上げました。そして今の状況は苦しみの果ての「出エジプト」の直後のように思う。喜びをたちまち忘れ、その後愚痴ばかりこぼした選民は40年もの間荒野をさまようことになった故事を思うとも書きました。心を引き締めて奇蹟を奇蹟として受け取らねばないと自戒しています。
「建学の精神を守る会」をお支え下さっている多くの皆様。お元気でお過ごしでしょうか。
前回のブログから二ヶ月近くが経ちました。その間の変化と現状をお知らせするため筆を執りました。

7月1日に山北院長、そして10月1日に半田理事長が選出され執行部体制がようやく整いました。形が整ったことを喜びながらも、新しい理事会はもちろんのこと、青山学院に奉職するすべての教職員に求められていることは、神と人とに仕える心ではないだろうか、と不遜なことを申し上げました。そして今の状況は苦しみの果ての「出エジプト」の直後のように思う。喜びをたちまち忘れ、その後愚痴ばかりこぼした選民は40年もの間荒野をさまようことになった故事を思うとも書きました。心を引き締めて奇蹟を奇蹟として受け取らねばないと自戒しています。

さて現実の変化はどうだったのでしょうか。一番早く解決を求められていたのは初等部のことでした。先生方も保護者も同窓生もこぞって、初等部に以前のような環境が回復されるための必死の努力をしました。保護者や校友は何度も法人本部に足を運び陳情を繰り返しました。殆どの先生方が一人ひとりご自分の手で現在の状況や苦しみそして希望を書き連ねて、上申書として執行部に届けました。最も平和的で穏やかな形でしたが、明らかにその効果は訴状以上の結果をもたらしました。大人たちが必死に、子どもらの学びと生活の場を守ったのです。いま、少しずつ目に見えるかたちで状況は好転しつつあります。山北院長は児童の前で「サッカーの試合でも選手交代はありますね」と切り出し一部の先生の配置換えや復帰を含む決定を述べられました。教育の場で最も大事な事は児童、生徒、学生、さらにはその保護者の心に平和を与え信頼感を取り戻すことだと思いますが、牧師でもあるこの方は心の教師としても優れていることを私たちに示して下さったように思います。

青山学院はそこに学んだ人は当然のように承知していることですが、幼稚園、初等部、中等部、高等部、女子短期大学、大学、大学院を網羅する総合学園です。それはそれぞれ独立している学校です。分かりきったことのようですが、他の一部の大学が高校や中学を併設している場合にそれを付属高校や付属中学と呼ぶのとは異なります。園児・児童・生徒・学生・院生と向き合っている現場の教師たちが、互いに連携しながらも、建学の精神のもとで独自の教育活動を展開しているのが青山学院のスタイルです。それぞれの独自性は青山学院の教育の豊かさなのです。経営的な拡大路線のものさしだけでそれらの独自性を計るのだとしたら、それは青山学院の大事な特徴を壊すことになるでしょう。直接児童や生徒に接していない経営者が、教育の中身に手をつけるようなことがあるとしたら、そこにはもはやプロの教師集団は必要なくなります。教育は何のためにあるのか、という基本的なことにも関わることだと思いますが、ここでは青山学院は日本では珍しい形の学校であることを再確認しておくことにとどめます。

院長が不在の間、教育やキリスト教を良く理解していない人がこの総合学園の総責任者、独裁者となってしまいました。人事が自由になりやすい初等部が真っ先に犠牲になりました。しかし初等部ばかりでなく短大でも大学でも独裁者は自由自在なことをやってのけたことが次第に明らかになってきました。同じキャンパスの中にあっても各学校が隣の学校に降りかかる災難を知らなかったこともあるようです。人事ばかりでなく学校行政面や財政面でも専門家や教職員の意見を聞かずにやってしまうことがあってもお互いに気づきにくいこともあったのではないでしょうか。今になって総合的な中長期の教育ヴィジョンがあったのだろうかと問われています。リーマンショックでそれなりの専門家でさえ大きな失敗をしたのとは違う次元での失政です。このような状態があと1-2年続いていたらと考えるとぞっとします。人間のやりたい放題の結果を示唆する記事が聖書には数多くあります。私はソドムとゴモラの滅亡と、後ろを振り返ってはならないとの命に背き塩の柱となってしまったロトの妻の話が頭から去りません。(創世記創18:20以下)アブラハムもロトも神様に厚かましいくらい何度も譲歩を願うのですが、そのくらいのことで神様の怒りは収まりませんでした。神様の作って下さった素晴らしい教育の場を勝手放題に汚した私たちの仕業は神様の目からご覧になればソドムやゴモラと五十歩百歩程度の違いかもしれません。私たちはそのような状況と危機一髪の距離にいる自覚が必要だと思いますが皆さんは如何お考えですか。

今回、青山学院の危機に最初に気づいて下さったのはまず宣教師・宗教主任の先生方でした。次第に明らかになってきた資料によれば、寄附行為の見直しが必要との発言が出始めたのは2009年12月の理事会だったといいます。2010年2月になると、寄附行為を変更すべしとの声になっていました。そこにキリスト者条項の改悪の気配を感じとったことがやがて2010.03.29の「学院宣教師・学院宗教主任声明」になり、相呼応してこの「学院の建学の精神を守る会」の発足となりました。更にこの会の趣旨に賛同いただいた多方面の方々から寄せられた情報量は相当なものになりました。これらの情報に基づいた活動や成果はこのWEBサイトでも逐一お知らせしたとおりです。

簡単に経過の概略だけ記してみましょう。
当初の目標は 1.院長を選ぶべきこと。 2.理事会の構成が正しくあるべきこと。の二つでした。
5月27日の理事会において、山北宣久氏(日本基督教団聖ヶ丘教会牧師、日本基督教団総会議長・2010.10任期終了)が青山学院の第13代院長に選出され、7月1日に就任式が行われました。
7月22日午後3時から、7月1日に就任した山北宣久院長を交えた初めての理事会が開かれました。この理事会で松澤理事長が理事としての任期が9月で終了するに際し、理事として再任することを否決しました。
夏休み明けの9月 7日、新理事長選任のための臨時理事会が開催されましたが、議長である松澤氏が議事の進行を6時間半にわたって認めず、9月 15日の臨時理事会に持ち越されました。
同 15日、理事会に引き続き臨時評議員会も開催されました。午前中の理事会において、次期理事長に副院長の半田正夫氏が選出され、午後に開催された評議員会において、半田氏が7月22日と9月7日及び本15日午前中の理事会の様子を、詳細に報告されました。この日の評議員会が過去に例を見ないほど活発であったことは記憶されてよいことでしょう。多くの方々が過去と決別できた喜びを語ったのです。

半田理事長の就任式は10月1日に行われました。この式で半田氏が述べられた言葉の中に反省の真の言葉が欲しかったと苦言を述べさせていただきました。その後多くの方が理事長の姿勢に注目してきましたが数々の言動から反省はあるいは本物かも知れないと理解され始めているようです。何よりのことです。又、旧理事会の中で前理事長と行動を共にされた方々が「私の責任ではない」と仰ることは自由です。しかしそのような方に今後いったいどなたが協力し共に歩んでくれでしょうか。いろいろな不祥事が起きた原因を含めた殆どの事情を熟知されている方々に求められているのは、その解決のための当事者能力です。解決に向けた努力を積極的にされるならば、その時多くの方々が全力を尽くして協力して下さるのではないでしょうか。

このような経過を踏まえ、最近の喜ばしい傾向のいくつかをご紹介しましょう。
第一は評議員会の活性化です。7月22日の段階では現状も課題もはっきりしていませんでしたが、初等部の問題をはじめ青山学院の現状が次第に明確になりました。そして11月25日の臨時評議員会では、評議員の方々からいくつかの大切な質問が執行部に投げかけられたようです。法人側が当初用意した3つの議題の審議に加え、これらの質問についても3時間もかけて丁寧な回答があったようです。大きな難問があるときにありがちな、「誰の責任か」という犯人捜しの泥沼に入ることなく、理事会と評議員会の全体の責任として全員で前向きに解決していこうという姿勢が見えたように思います。青山学院らしい解決の道が開かれつつあると感じています。

二つ目にご紹介したいのは校友の行動です。校友会は世界に活躍する25万人を越える校友が地方支部や同窓会、各種登録団体等から代議員を選出し非常に民主的な組織となっています。学校の経営に対しては中立の立場で協力することが求められていますが、「守る会」としては私どもの願いと立場を公私に亘って校友会代議員にお伝えしてきました。ある大学では校友会が法人の御用団体であったり、逆に反対勢力であったりしますが、愛校心が的確に真に発揮出来ると言うことはそれほど簡単なことではありません。上記の評議員会でも「校友評議員」が的確に所信を表明されましたが、これは校友会の歴史としても高く評価されるべきことであると思います。

更にこれは当然すぎることかも知れませんが、そして皆さんにはなじみのない名前の会かも知れませんが、「SCAOB会」「岩の会」「つたの会」「ぶどうの会」、そして旧神学科同窓会や「エルピス会」などの方々が、がそれぞれ独立して「守る会」を応援協力して下さっていることです。これらはそれぞれ大学、大学二部、新制高等部の学生サークル、宗教部の卒業生の会、旧神学科やキリスト教学科の同窓会です。広く社会に巣立ってから各自教会を支え母校のために祈りを捧げ定期不定期に集会を持っている信仰の枝の方々です。母校の危機に際してつねに「祈っているよ」と励まし続けて下さっています。

最後にもう一つご紹介しましょう、「キリスト教学校教育同盟創立100周年記念式典・シンポジウム」が11月23日立教大学で開催されました。参加者のお一人から次のようなメールを頂きました。「今日一日で、随分多くの方から声をかけられました。二つの意味において注目されています。一つは「さすが、青山学院」という声を多く頂きました。よくぞ潰れずに、山北院長を迎えて松澤体制をひっくり返した、という称賛の声です。(中略)、もう一つは、「さあ、これからどうするの」という意味での注目度です。似たような危機に直面しかけている学校がいくつかあります。いや、どの学校も例外ではありません。その場合、良くも悪くも、青山学院は全国のキリスト教学校のモデルになるのです。いま始まった「戦後処理」をどのようにやっていくのかを多くの学校が見ています。(中略)シンポジウムでは、深町正信名誉院長が、山内一郎関西学院前院長、久世了明治学院院長とともにシンポジストとして登壇され、キリスト教学校が真剣に神の前に真実であり続けようとすること、そのために礼拝を重視すること、それこそがキリスト教学校の独自性に他ならないことを強調されました。」

深町名誉院長のお言葉を反芻して受け取り、毎日の礼拝が戦時中も震災時にも欠かさず守られてきた青山の伝統を守り続けていきたいと思います。幸いクリスマスも間近になりました。普段教会に行ってない方々はこの際、法人の執行部に在籍している方は当然のことですが大学の教授から幼稚園の園児、そしてその保護者に至るまでクリスマス讃美礼拝に参加するように呼びかけたいものです。渋谷近辺の、東京中の、東京、神奈川近辺の教会があふれるようでしたら神様はどんなにお喜びになるでしょうね。そして全国の、世界のキリスト教学校のためにも、私たちは祈りを忘れてはならないようですね。

今回のブログは少し長くなりました。一ヶ月を超えてしまったお詫びの気持ちもあります。最近の様子を知りたいとのお声も多くありました。書きたいことも山ほどありましたがその多くは内政干渉になる恐れがありました。WEBの性質上、関係のない方が興味本位でお読みになると思わぬ誤解も生じます。私たちに出来ることは本当に限られていることを実感する日々でした。ようやく解決の方向に流れが定まってきたように思いますので少し繰り返しもありましたが書き始めてみたものです。お読みになりにくい部分もあると思いますが、はっきりしていることは大道は敷かれたということです。大筋に於いて理事会も評議員会も自覚を取り戻した、やるべきことに大きな間違いは起きないだろう、と思います。しかし決して忘れてならないのはそれは上からの大きな導きの結果であること。それに対し感謝を覚えさらなる導きをつねに祈り求めることを忘れてはならないということだと思います。

いつも書き終わるとき感じることがあります。これは人の手で出来ることではないな、誰がやったってこんなに上手くはいかないな、これこそが奇蹟だと思ったことが何度もあります。確かに守られているなという実感。自分はその奇蹟の立会人に過ぎないけど素晴らしい経験をさせていただいているのだな、と。皆さんもきっと同じ思いでいらっしゃることと思います。

私たちに出来ることがもしあるとすれば、祈りながら甕(かめ)いっぱいに水を満たすこと。それがカナの婚姻の時(ヨハネによる福音書2章)に最高の葡萄酒に変化したような奇蹟が再び起こるようにと、ただひたすら祈ることしかないなと思います。建学の精神を忘れずに今日も明日もご一緒に祈りを合わせようではありませんか。

皆さん最後まで読んで下さってありがとうございました。つたない報告を終わります。