立春にあたり

青山学院のために、そして「守る会」のためにお祈り下さっている皆様お元気でお過ごしでしょうか。クリスマスにも、新年にもお慶びのご挨拶を申し上げないでいる間にまたまた二ヶ月が経ちました。深くお詫び申し上げます。今年は寒さも一段と厳しくインフルエンザも猛威をふるっているようですが、早や立春となり日差しも日一日と明るくなりつつあります。やがて卒業式、そして新しく希望に燃えた新入生も学院の門をくぐります。明るく開けた年が来ることをご一緒にお祈りいたしましょう。さて、まず最近のご報告から申し上げます。
青山学院のために、そして「守る会」のためにお祈り下さっている皆様お元気でお過ごしでしょうか。

クリスマスにも、新年にもお慶びのご挨拶を申し上げないでいる間にまたまた二ヶ月が経ちました。深くお詫び申し上げます。

今年は寒さも一段と厳しくインフルエンザも猛威をふるっているようですが、早や立春となり日差しも日一日と明るくなりつつあります。やがて卒業式、そして新しく希望に燃えた新入生も学院の門をくぐります。明るく開けた年が来ることをご一緒にお祈りいたしましょう。

さて、まず最近のご報告から申し上げます。

山北宜久院長は1月30日、聖ヶ丘教会で会堂にあふれんばかり、補助席にも座れぬ人が大勢立つほどの教会員に最後の説教を語り、35年に及ぶ主任牧師を引退されました。「私が示す地へ行け」と題した告別説教の第一声は、「終わりは始まり」でした。キリストの十字架による死と復活がキリスト教の根幹であることを説明されたとき、私はこの方の信仰に一点のぶれもないこと、そして明日から始まる人生について壮絶な覚悟を胸に秘めていることを予感しました。説教は創世記12章のアブラハムの召命をもとにしたものでした。ご承知の通りこれはアブラハムが神の命令により行き先も告げられず故郷を離れる話です。山北先生はこの話に三つの思いを重ねたように私は思いました。一つは当然のことながら青山学院に福音を述べるために旅立つ山北氏ご自身の覚悟。二つ目は27年前に韓国から旅立って伝道のため来日した朴寿吉牧師に聖ヶ丘教会の後任を託すエールと祈り。そして三つ目は500人を超す教会員の一人一人に地の果てまでも福音の証し人になりなさいという奨励ではなかったでしょうか。非常に力強いメッセージで後世にも残る名説教を聞く思いでした。そしていよいよ青山学院のために心血を注ぐ山北院長の歩みが始まります。昨年7月1日就任以来、既に7ヶ月の間、初等部はじめ様々な改革を意欲的に進められていますが、更に一段と充実した真の改革が進められることを心から期待します。

院長就任当時、山北氏は落下傘で降りてみたらそこは地雷原のようだった、と冗談交じりにお話になりましたが、確かに前理事長を支えていた人やその名残りはまだ残っていますし、その後遺症に苦しむ人が多いのも現実です。様々な問題がありますが、幸いなことに青山学院にご縁のある多くの協力者が山北院長をしっかりと支え始めたことは非常に心強く嬉しいことです。主の導きにより賢く乗り切れることを確信していますが、私たちもしっかりと見守って応援をして参りたいと存じます。

昨年を振り返りますと私たちは奇蹟を目の当たりに見た歴史上の証人となった感慨を覚えます。それは決して過言ではありません。苦しみの中にあった人ほどそれを実感し感謝として受け取ったことと思います。

しかし、これが奇蹟ではないこと、とんでもない迷惑なこと、一部のキリスト者の思い上がりや謀略だと考える人が居るかも知れません。青山学院の建学の精神の基礎である「キリスト教信仰に基づく教育」は時代遅れであるとの考えは、実は珍しい意見ではないことに気づかなければなりません。昨年12月25日に「キリスト新聞」は日本のキリスト教学校の「回顧と展望」 を特集しました。私たちは青山学院の固有の問題に振り回されていたと考えていましたが、実は日本中のキリスト教学校が同じような困難に直面していることを知りました。日本ばかりではありません。130数年前に青山学院発祥の一人となった女性宣教師ドーラ・E・スクーンメーカーを送り出すために多額の資金提供をしてくれたアメリカ・インディアナ州のデポウ大学(DePauw Univ.)の最近の様子を伺うことが出来ました。(資金自体はデポウ大学長の夫人、フランセス・メアリアン・デポウ氏のポケットマネーでした。メソジストの信仰に立つ学長一家だったようです。)当然のことながら卒業式は礼拝形式で行われていたのですが、その伝統の形が少し変ってきたそうです。卒業生の中にキリスト者ばかりでなく他宗教の信者が多くなったための配慮のようです。いかにも多民族国家のアメリカらしい現象だと割り切ってよいのでしょうか。

先の「キリスト新聞」は「学校経営をめぐって、キリスト者である教職員、そうでない教職員、またそれぞれの中にそれぞれのキリスト教理解があり、それに基づく意見もまたそれぞれである。」と指摘しています。教育を受ける立場の児童、生徒、学生、院生にとっては、キリスト教理解はさらに多岐に亘ることでしょう。

明治の初め、未だ切支丹禁制の高札がある当時、アメリカから遣わされた宣教師は宣教と共に婦女子の教育に取り組みました。それはデポウ大学自身がアメリカでいち早く女子教育に力を注いでいたことによります。その歴史と伝統を受け継ぐ青山学院の教育も常に異教の地での困難に満ちた宣教であり教育でした。その教育を私は院長はじめ多くの先生方の生き様の中に見てきました。第一回のこのブログで、私は院長の背中を見て育ったと書きましたが、多くの友人が、青山学院での教育に感謝していると語ってくれることを嬉しく思います。それが教会に行っていない人、洗礼を受けていない人からも同じことを言われます。そしてその人の生き様が、まさに「地の塩、世の光」を実践していることを知ると、青山学院の教育の成果に感嘆し、感謝を覚えます。教育によって青年がどのように育って欲しいのかということは、最近また大きな関心になっているようですが、1月15日に毎日新聞が教育特集で青山学院、慶応義塾、早稲田実業の各中等部長、教頭の座談会の様子を載せました。青山学院中等部長の言葉を一部紹介してみましょう。「リーダーとは、人を使うだけでなく、むしろ人に仕える人……」「隣人と共に、隣人のために生きる人になって欲しい……卒業して20年以上たってから仕事の傍ら、地雷除去の活動を始めたら同級生が大勢集まった……、このようなことが教育の成果だと喜んでいます。……一番大切にしているのが礼拝です。一日15分、行われます。生徒たちはみんな熱心に聞いているわけではありません。しかし、卒業生に問うと、一番の思い出は礼拝という人が多いのです……」。なんと青山学院の教育を語り尽くした言葉でしょうか。このような先生方が数多く青山学院にいらっしゃることを嬉しく思います。青山学院が「建学の精神」を忘れ、多少道を外しそうになったのはこの僅か2~3年のこと、大海のように表面が波打っても何の騒ぎもなく大筋はきちんと主に守られていたのだと思います。

しかしながら、たとえ2~3年とはいえ、私たちは絶対にあってはならないことに直面しました。そのような危険をもたらす要因は既に30年以上前からあったと私は考えています。1990年に深町先生が院長に選ばれたとき、選挙戦の最中に洗礼を受ければ被選挙権はあると言い放った教授がいて愕然とした記憶があります。そしてそのような素地は以前にも書きましたが、青山学院から神学部や神学科すらなくなり青山学院教会まで解散に追いやった苦い歴史の中にあります。経営者が拡大路線を選択し、日本経済の発展に乗った幸運もあり、結果として多くの学生が集まり、多くの資金が得られ、立派な校舎や教育施設が作られ、高名かつ実力のある人材も得られました。成果は成果として評価しながらも、現実を直視しながら繰り返し反省と共に中長期の展望を描くことが必要です。誰もその展望を持たなかったのだと私は考えています。一見恵まれた温室の中で誰もがしのびよる危険に気づかなかったのだと思います。1月の理事会と評議員会において混乱が続いていた初等部の部長が解任となりました。また業務停滞を回避するために常任監事が解任されました。この二つの決定は、前理事長の路線の重要な修正であることは明らかです。一歩一歩ですが軌道が正されていることを喜びたいと思います。次の初等部長も常任監事も、大きな困難に直面しているこの時、その任に相応しい方が選出されることを心より願わざるを得ません。教育のあり方についても、それを裏付ける財政のあり方についても、過去の歴史を正確に理解し、反省し、猛省したいものです。この「守る会」はそのような猛省が原点です。頭を垂れ神の前に祈ることから、また今日の一歩を歩み始めたいものです。そして主なる神によって、私たちの真に歩むべき道が示されることを願います。

皆様どうぞご一緒に青山学院のために祈って下さい。